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「のしろ(能代)日本語学習会」 活動日記



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Y君の帰化

2011.02.03(04:05) 123

小学2年の時、母親の結婚と同時に日本に来た中国のY君。町の小学校へ入学したが、日本語指導者は不要と判断されたそうだ(友達と話している内に日本語は覚えると思った学校長)

母親が結婚した相手は、早朝から仕入に行き、遠くまで販売に回る仕事である。母親はそれを手伝っているため両親は朝早く出かけてしまう。

日本語指導者は不在、通訳者はいない。学校で生活する環境が何一つ整わないまま学校へ通えと言う方が無理な注文だ。案の定1か月もしないうちに登校拒否・・・両親の仕事について歩いていたが、3か月経ち母親はY君を中国へ帰す・・・中国の小学校へ戻り、半年近くのブランクを埋めるのは大変だったとY君は後から語ってくれた。

祖母が保証人となり、学校の寮に入り頑張ろうとしたY君が再び日本に来なければならなくなったのは、祖母の入院だった・・・たった一年でまた戻って来たY君は・・もう勉強はダメになると思ったそうだ(日本に行ったら前と同じ学校生活が待っている・・何にも分からない学校生活・・)

しかし、当時その小学校へ転任したばかりの校長は、すぐに「のしろ日本語学習会」へ連絡をしてきた。

Y君の噂は聞こえてきていたが、学校からの依頼がないと関われない。Y君が中国へ帰ってしまったことも、街の人達が「中国の子供はやる気がない」と噂しているのも忸怩たる思いで聞いていたので、Y君が戻ってきたので対応を指導して欲しいと校長から相談の電話を受けたときは驚いた。早速、Y君と両親と学校担当教員と合同で面談し、取りあえず3年生に編入させ、日本語指導を引き受けることにした・・当時の彼は「中国へ逃げ帰ったY君」と呼ばれていた。

支援体制もなく、言語が理解できないことは授業も理解できないことだという意識さえ持たれないまま編入した子供は、不登校になれば子供自身の責任として処理されてしまう・・・

学校からの依頼だったので、日本語指導環境を整えてもらい、日本語指導者配置と北川のアドバイザーの役割を(これはボランテイア)許可してもらった。

ひらがな指導から始めなければならなかったが、Y君の吸収力は砂に水を与えるほどに凄かった・・日本語の学びに飢えていたのだ・・(頭のよい子だと感じたのは間違いなかった)

1年で日本語の基礎をマスターした彼は、日本語の教科書に必要な学習言語に進んだ。継父は息子の成長に驚き、学校での様子を聴き泣いて喜び、いずれ自分の養子にするつもりだと話した。

子供の学校での評価は、子供自身が生きることと直結する・・悔しいが・・それが現実だ
そして学校の評価が、日本人の継父の持つ子供への評価になる(イヤと言うほど見せられてきた)・・

校の成績が悪く評価が悪い連れ子は、母親の立場さえも危うくする・・二人の間に生まれた子供でも、子供の評価は外国人の親の評価と直結する・・地域で生きる外国籍住民の自立は甘いものではない


Y君は・・5年生になってから、当時の自分の気持ちを話してくれた。
僕が頑張らなくては、母親は幸せになれないと思った・・それに、自分には帰るところはないんだから・・
日本語さえ理解できたらきちんと授業についていける・・中国では良い成績で頑張っていたのに、日本に来たら日本語が分からないだけでバカみたいに思われた。悔しかったんだ~

中国じゃ朝早くから夜遅くまでみんな勉強するのに、日本の学校は、休み時間が多すぎる・・つまらない・・
両親は朝早くから遅くまで仕事をしているから、朝ご飯も夕飯も一人で食べる

寂しくない?と聞くと・・母さんは僕を育てるために日本へ何度も働きに来ていた(縫製工場)。中国では学校の寮に入っていたけど、日本に来たらどんなに遅くても母さんは僕の所へ帰ってくる。それだけでも嬉しいから、寂しくないです(日本語指導担当者はウルウルしてました)


時々フッと気を抜く瞬間があると話す日本語指導者(日本人の子供のように、親に甘えることも無理を言うことも彼の中では制している・・張り続ける糸がゆるむ瞬間なのかもしれない・)

教室のバス旅行や行事に顔を出すときが、唯一の甘える時間だったと思う。
親に迷惑をかけないために一人で能代まで電車で来ることも覚えた・・ボランティアが切符の買い方も乗り方も教えてくれたっけ・・・
そのY君も中学生になる・・そして、日本人として帰化した。

母親は、帰化することを躊躇っていた。中国人に誇りを持つ母親で、その母親の思いを理解していた息子でもある
その母親の気持ちを思ったからこそ・・Y君が入学するとき、中国から来た自分だと言うことを隠さずに学校へ行こうね。でも、だからこそ負けない自分になりなさい。しっかり日本語を勉強したら、誰もいじめたりしないから頑張ろうね!!・・そう言い続けてきた・・

母親は多くを語らないが、帰化の申請を御主人と一緒に進めていた。母親が帰化すれば未成年の彼は自動的に帰化できる・・子供が日本で生きていけると判断した上の決断だと思う

帰化したって君のルーツは中国・・母国に誇りを持つ人間でいて欲しい・・君が大きくなって、中国と日本の架け橋になることが、私達の望み・・・

君に仮の日本名を付けてくれた日本語指導担当のFさん・・君はその仮の名前を、そのまま日本名として帰化したんだね・・

君の名付け親になったFさんが教えてくれたことと、人に対する優しさを忘れない大人になって欲しい

Y君、帰化おめでとう!!  そして日本の小学校卒業おめでとう!  ピカピカの中学生だね・・
Fさん、お疲れ様でした。彼は貴女の思いをきちんと受け止めて生きていくと思います・・アリガトウ。

でも、もう少し見ていて下さいね・まだ未熟な若者ですから・・ね
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