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「のしろ(能代)日本語学習会」 活動日記



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子供の日本語支援の意味は

2010.02.27(07:24) 14

秋田県は、子供達へ手厚い教育をしていると語っているが、外国人児童生徒への日本語支援サポートに関しては、お粗末なものだ。

サポーターは非常勤職員の立場で雇っていると言うが、県が半額、市町村が半額負担という形であれば、高齢化する町村に生まれた子供は、予算がないからと日本語支援を貰えないのは当然のことだ (それは町村の責任で県が責任を負うものではないと言った県職員がいるが、子育て支援は町村に負担させるものではないはずだ・・過疎化の街では、子供を産むなという事と同じ・・)

子供は生まれたら平等に教育を受ける権利があるはずなのに・・サポートのシステムの一部を過疎化少子化の町村に
負担させるやり方は教育の権利から言うと平等とは言えない

大人の為の日本語教室は、各町村にも責任を持って貰うという理屈は理解できる。
子供も同じ理屈でその上、今年から県の負担を三分の一、町村の負担を三分の二と、町村に無理を押しつける予算に変更した・・・これでは、日本語支援を絶たれてしまう子供が出てくるだろう。

文部科学省が2.3年前から、外国にルーツを持つ子供の日本語支援に力を入れるのには理由がある。

異文化の親は、日本の文化も習慣も子供に指導できない・・外国にルーツを持つ子供への支援は、単に言葉だけの問題ではないはずだ・・・学校に入れ込んで仲良くしていれば文化も習慣も日本人になりきると思うのだろうか・・
その前に、日本人との交流がスムーズに行くはずもない。

文化が理解できない、習慣も違う、日本語も上手く話せない、進学できない、就職できない・・それが今の都会の子供達の現状だ・・しかし、それでも彼らは確実に大人になっていく(被害者は子供達のはずだ)
誰を恨んで生きていくのだろう・・・それに気がついたのが、今の文部科学省の事業だ


秋田は、同じ過ちをしようとしている・・秋田で生まれ育った事を悔やむ子供・・


他にも問題がある。県が雇う形の非常勤講師へのスキルアップの場が予算が無いと言う理由で皆無だ。
形だけの支援体制は成果が上がるはずもない。
非常勤でも教育に携わる者なら・・特に日本語指導は誰でもできるものではなく心理的な要素も兼ね備える
常に学ぶ姿勢と技術がいる(本来、ボランテイアレベルの仕事ではない)


しかし秋田市だけは、子供の日本語支援に関しては県とは別に予算をたてておこなっている。
講師の養成講座も秋田市が予算措置をし独自に行っているが、その講座の講師に私(北川)が依頼されている。

能代も秋田市のように独自の予算立てをして子供の支援体制を作れないものか・・誰に要望を出せば考えて貰えるのだろうか。

今年から三分の二が能代市の負担になったと言うことで・・市内の子供の日本語支援の時間が削減されてしまった
非常勤の講師の少ない給与が更に減額されるということは、日本語指導者になる人は、暇でお金持ちの人しかできないことになる・・

能代で関わっている非常勤の日本語指導者は皆、日本語学習会から講師として派遣している。

指導法の学びはもちろんだが派遣先の学校教師との連携を蜜に取っているため、子供達はいききと学校生活を送っている・・この子達の笑顔が予算減額で消える・・外国籍の子供は子育て支援の枠には入れられない子供達なのだろうか
今までの実績が何も評価されないまま、予算減額になる理不尽さが虚しい・・

秋田市内では、時間に余裕のあるお金などいらない人達がボランテイアとして子供支援に関わる
私も今まで能代市内の学校支援に関しては、学校教育関係者のpかねが無い話から無償でおこなってきた・・しかし、だからこそ非常勤講師となっている指導者には最低限の待遇を保証して欲しいと思うのは間違った考えなのだろうか・・

教育とは何なのだろう・・成績優秀な子供がいる県として評価されても、高齢者の自殺率NO1の県は、人に優しい街と言えないのではないのか

今年度の予算削減の連絡を教育委員会から受け、ボランテイアという立場で関わることは、本当の意味で子供を救うことにならない事をもっと知るべきだと改めて感じる。

行政がきちんと支援体制を作らなければ、本当の意味の子供への支援にはならない
ボランテイアだけに頼ることは、いずれ支援体制が無くなってしまうことに繋がる


子供の自殺者が出る事を私は恐れる・・虚しい気持ちを奮い立たせるのは、子供達の笑顔だけ・・・

藤里町教育委員会の、「数の論理で教育支援ができないとしたら、それは本当の意味の教育とは言えない」という
言葉を特別な優しい教師と感じるほどに、教育の世界は本筋から乖離して行く・・のか・・

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