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「のしろ(能代)日本語学習会」 活動日記



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学ぶことの意味

2011.06.10(06:06) 150

この街には日本語教室は、ここしかない・・・大人が、生活者となるために必要な日本語を学びながら、日本の習慣や日本人の考え方を習得していく場所として日本語教室を開設した。

あれから20年近く経ち、その親たちから子供が生まれている・・・日本国籍であろうと、連れ子として途中で日本に来た子どもであろうと・・子供達は、どちらかに片寄るでもないダブルでもない・・第3の祖国を作り上げているような気がする。

日本に来て、何事もなく幸せな子どもは居ない・・見たことがない
だからといって日本で生まれても、片親が文化も言語も違う子どもが育つ環境は、外国籍の子どもより辛いことが多いかもしれない・・・
大人になって片親が日本人ではないことは、辛いことの方が多い・・・・我がことになると寛容ではない日本人がまだまだ多い。

その中で、生き抜いていかなければならない現実がある・・甘えは許されない日本社会だ・

教室に来る子供達は、親に甘えることは許されない・・というより、親に甘えられる境界を知っている。
幼い頃から、親が日本社会で生きる困難さを見せつけられている・・・自分が自立していかなければならないことを身体で感じているのが、その子供達だ

だから、誰も頼れない・支えてくれる人は居ない・と・自暴自棄になってしまう子どもが出てくるのは当然のことだ

一人の人間として、多くの人達に支えられ協力して貰うための第一歩が・・子供の場合は、学校での評価だ
今、私達が子どもに一生懸命日本語を教えるのは生活するためではなく、学校の学びに付いていける子どもを育てていると言っても・・納得する人達は多いはずだ・・

学校で教科に付いていける子どもは、外国籍のハンディを乗り越え評価されていく・・それが現実だ

まず学習言語を教え、教科に取り組む前向きな姿勢を持たせる・・それが子どもへの日本語指導者の役割だと言い切れる・・だからこそ、子どもへの日本語指導は、指導者の力量が問われることになる
子供達は障害児ではない・・それを証明できるのは日本語指導者だからこそだと思っている・

日本語を学ぶ場を与えることで、子供達はドンドン脱皮していく・・目が輝き、諦めていた知る喜びを見いだしていく・・それは学校の教科に繋がる・・学ぶことの意味を彼らが知ったとき、自ずから進学することを望む

能代教室は、当初の親を支援する教室から、子どもが日本社会で生きていくための土台作りを考える教室に変化してきている・それは、外国籍の親たちも一緒になって我が子の成長を見守る場所を構築してきているとも言える

子どもは、親の励ましの下でこそ成長する・・親を関与させず子どもの成長はあり得ないからだ
学ぶことが楽しい・・・子どもの何処と繋がると楽しいと思えるのか・・模索する日々だ


震災後・・原発騒ぎと国会を見て、今の政治に呆れた・・これからの日本社会を作る若者を育てる必要を痛感する
私は被災地に行く支援活動はできない・・しかし、人に優しく見極める目を持つ若者を育てる手伝いはできる

子供達は勉強して欲しい・・日本で生きるためにも・・
いや、それ以上に、日本社会で自分の意見を発言できる若者に育って欲しい・・辛い苦しい経験をした若者達だからこそ、本当の優しさを知っている・・人への思いやりの意味を理解できるはずだ・・

学びは自己を確立できる・・知ることは第一歩だ・・勉強はそのためにするもの・・

しかし、人に優しく人を見極める目を育ててくれるのは・・地位も名誉も関係なく、誠実に生きてきた街の人達だ
教室は、そんな人達が支えている・・・

意外に厳しいんですね・・と言われるので・・思いを・・書いた・
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