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「のしろ(能代)日本語学習会」 活動日記



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ボランテイア養成講座開始

2010.04.25(03:14) 27

今月4月11日(日)平成22年度、日本語指導ボランテイア養成講座開講式(新聞記事で紹介)

今年も能代市主催で養成講座を行うことができる事は非常に有り難い。
秋田県内で日本語指導者養成講座を継続して行っているところは、ほとんど無いはずである。

国際化、多文化共生社会と言われ識字教育が叫ばれているが、昔のように日本語指導教授法を教える所は今、ほとんど無い。
20年前は、日本語指導者の為に、日本語基礎知識を覚えて貰う講座がたくさんあったが、コミュニカティブ日本語という言葉がいつの間にか「日本語の基礎知識」を知らなくても日本語が教えられると勘違いする指導者を増やしてしまった。

日本人なら「正しい日本語」を話せることは確かだ、しかし、それだけでは外国人に日本語を教えることはできない。外国人に日本語を教えるためには「日本語」そのものについて知る必要があり、更にそれを外国人にわかりやすく説明できることも必要になる。

優しい人達だけ集まっても、教室は継続できない・・・誰も教室に来なくなる・・・
「日本語についての基礎的な知識」は日本語教室を継続して行くためには必須なのだ。

よく私達は何か品物を進呈する時「つまらないものですが」とか「粗品ですが」などと言うが、英語に直訳すると相手が困惑するおかしな表現になる。また、「昨日はお世話になりました」と言われたとき、日常的に使う「どういたしまして」という日本語は相手が示した謝辞に対して「私は何をしたわけでもありません」という穏やかな打ち消しの表現である。これを生真面目に直訳すると「Not at all」となり全く違う意味となって伝わってしまう。

言葉はその国の文化に根ざしたものである事をつい忘れがちになる。
へりくだって自分を表現する日本独特の「謙譲の美徳」の文化から生まれた言葉をそのまま英語や他の国の言葉に訳しても相手には意味が伝わらない

英語教育も同じ事・・日本語で自分の意見を言えない人間が英語で何を伝えられるというのか・・

大学生や留学生ではない、地域で暮らし私達と同じ地域住民となる人達への日本語指導者を養成する講座を行うなら、指導法と同じくらい大切なのが自分達が生まれた日本という国・自分が育った町を考える姿勢である
言葉は文化に根ざしたものなら、日本語指導者が日本の文化(住む町の文化)を学ぶべきなのも当然の話である。

それらを理解して貰う養成講座を続けてきていると言っても過言ではない。
それは自分自身が使っている日本語を見つめ直し、教授法を学ばなくては本当の日本語指導者にはなれない事を自覚する事に繋がっていく。

本音を言うなら、講座に参加してくれる人が全て日本語指導者になることを望んではいない。
外国から来た人達にとって、日本で生きることや日本語を学ぶ事がどれほど大変な事なのかを理解し、声をかけてあげられる地域住民を増やす事が目的である。

地味で鈍い歩みかもしれない・・しかし確実に浸透できる・・20年関わってそう言える
国際理解より人間理解の方が、日本社会では受け入れられる土壌が有ると思う

外国から学ぶことも必要だが、日本という国の独特の社会の中での国際化を受け入れる姿勢・それが必要な気がする

今年も面白い講座を考えていきたい・・・どうぞ学びにいらして下さい。待っています


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