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「のしろ(能代)日本語学習会」 活動日記



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「子どもの貧困」

2015.01.11(15:50) 344

活動を継続してきたからこそ、見えたことがある。

日本は、子どもを育てるのは家族の責任、親の責任と考える。
他人の子どもが目の前で困窮していても、それは「自己責任」(家族責任)であり、社会の責任ではないと考える人が多い・・・・

「子どもたちを孤立させない社会」「子どもたちが普通に生きて、普通にすごせる社会」と簡単に言うが、「社会責任」=「政府の責任」のはずなのに・・・
日本は家族の問題は全て、「家族責任」にすり替えられてしまう・・・・「家族依存型社会」と言える。

しかし現実に、親が全て子供を守れる環境にいるわけではない。
貧困の親に、家族責任・親の責任という言葉を投げつけても・・・解決などできない。

その、穴埋めを、ボランティアに依存する??・・・・・・

子どもの貧困が6人に1人、300万人にのぼる今の日本でもっとも重要なのは、日本社会における「子どもを育てることは家族の責任」、「自分の子どもは自分で育てるのが当然」というような、ほとんど社会的な責任を問うことを放棄した自己責任論と同一線上にある「家族責任論」の克服だと思う。

「日本社会の構造上の問題に目を向けないまま、一人ひとりに「もう一歩踏み出すこと」だけ望んでも、抜本的な改善にはならない。
「日本国憲法改正草案」の第24条にある「家族は、互いに助け合わなければならない」など、さらに「家族責任」「家族依存型社会」を強制する法案は・・・子どもの人権や子供の命を守ることと・・どう繋げるのだろうか・・

本田由紀教授の著作『社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ』(岩波ブックレット)の一節が・・心に響く・・
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教育が家族を支えるような役割がこれからずっと大事になってくるはずです。つまり、学校が地域の拠点として、児童生徒のみならずその背後の家庭が抱える困難を鋭く見出し、様々な社会サービスにつなげてゆく役割を強化してゆくことが必要だと考えます。
現在の日本の学校においては、「児童生徒を平等に扱う」という規範が非常に強いため、問題を抱えている児童生徒に対して十分な対処ができていません。しかし、子どもや若者にとって学校はいわば社会との「臍(へそ)の緒」にあたるものですから、それを切ってしまうことは孤立する個人や家庭を生み出すことにつながってしまいます。
ただし、学校が家族を支える役割を果たすためには、公的な支出を確保し教職員やスクール・ソーシャルワーカーなどの人員等を拡充することが不可欠です。
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日本語支援関係者が口を揃えてボヤク・・「日本語支援の一番の障壁は学校教育関係者」

確かに・・人間として一人の日本人として・・尊敬できない教師も居る
「国際理解など日本の学校には関係ない!」・・と豪語する教師とも出会ってきた

しかし、大部分の教師は子供のことを・・本気で考えてくれる。
学校との連携を模索することが、日本語指導者のもう一つの役割と自負してきた・・・

日本語教室と学校との連携がどんな効果をもたらすか・・・一人でも興味を持ってくれる教師を増やすことを目指してきた。
本田教授の論考が現実になったら・・・・・日本語指導者の役割が論議されることになるだろう・・

日本の多文化共生社会は、次世代育成にかかっている・・・・
心も身体も健康な次世代を育てる・・・・・日本を汚してしまった私達大人が、償える唯一のこと・・・・


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